「西洋医」のドラッカーと「漢方医」の稲盛和夫が手を結び、 中国の企業家は「二刀流」を身に付ける

「西洋医」のドラッカーと「漢方医」の稲盛和夫が手を結び、
中国の企業家は「二刀流」を身に付ける

作者:关彬(関彬)稲盛哲学実践家
引用元:“西医”德鲁克与“中医”稻盛和夫成功牵手,中国企业家才能“双剑合璧”
URL:http://blog.sina.com.cn/s/blog_b0592e5f0102vtel.html
日時: 2015年7月22日

張 心怡  訳
松村 淳 構成

 

作者プロフィール:关彬(関彬)

中国稲盛和夫哲学重要な推進者、自由学者。中国企業研修の分野における稲盛哲学の提唱者と実践者グローバル・フォーチュン500で20年を越える上級管理層の勤務歴を有する。
清華大、北京大、東北大、石油大など大学の特任教授を歴任。『商業評論』、『中人網』など雑誌のゴールデン・コラムニスト。長期的に稲盛哲学の研究に取り組み、『ドラッカーから稲盛和夫』などの著作を有している。なお、転載元ブログの訪問者数は12万人を超えている。
(この文章は、関彬氏の「全国企業大学校長プラットフォーム・ネット授業での報告を基にしたものである)

 

はじめに(ホストによる関彬氏の紹介)

「学道当番」(研修会)昨晩のゲストは、浙江省大手民営会社の元アシスタント・CEOで学院の院長、稲盛哲学研究者の関彬先生です。関先生に「稲盛哲学」をテーマに発表をしていただきました。先生は、稲盛哲学に対して長い研究活動歴をお持ちで、稲盛和夫の経営理念に深い理解を有しています。さらに稲盛哲学とドラッカーの理論との比較も行っています。彼はドラッカーの管理理論を「西洋医学」に例え、稲盛哲学を「漢方医学(東洋医学)」に例えました。そして今の中国企業が直面している転換期には、「東西を結合する」という方法が必要で、そうすれば、薬が効き、頑固な病気が根っこから直るのだと考えています。

日本語「二刀流論文」図表1_RITA LABO_190514日本語「二刀流論文」図表2_RITA LABO_190514関彬氏

以下、関彬氏の講演から

 

1.稲盛和夫のユニークさ

日中関係が緊張し合っている近年、中国の企業家たちの中で、日本のある民間人のことが話題になりました。中国でそのような大きなブームになるのは、一体どういうことを示しているのでしょうか。ここで中国の故事成語を参照しましょう。“行有不得、反求渚己“です。すなわち行動の結果が出ない原因は、自分の身にその原因を探すことだということです。

2009年以降、我が国の経済にいくつかの問題が生じました。多くの企業家はその時からずっと転換期の問題を研究していますが、まだ多くの企業家がその転換に成功していません。全体的な経済環境が坂を滑るように下がっているのです。特に製造業はそうです。企業家たちは皆困って、難しく思っています。しかし、稲盛和夫は彼の哲学を使って、グローバル・フォーチュン・500の会社を二つも作ったのです。稲盛哲学のベースの多くは、中国の伝統文化に由来しています。たとえば『論語』、『呻吟語』、『菜根譚』、『了凡四訓』(『陰シツ録』)などの古典は稲盛和夫に大きな影響を与えたといいます。彼は上記の本の考えに、「儒釈道」(儒教、仏教、道教)を融合させ、最終的に「致良知」(注)を中心概念とする価値観を形成したのです。

他の専門家タイプや特別なタイプの企業家、たとえば、ジョブズやビル・ゲイツと比べて稲盛和夫は重厚なタイプの経営者であると言えます。

稲盛和夫は「三心二意」(注)を持っています。「三心」というのは「楽観心、向上心、謙虚心」のことです。これらの「心」を一つにするのが実に難しいのです。特に「向上心」という闘争心のようなものは、「謙虚心」とは本来の矛盾するものです。しかし稲盛和夫には、それが非常にうまく融合的に現れているのです。彼のバランス力や、シンプルな原理原則に戻る能力は、中国の企業家たちが大いに学ぶ価値があると言えます。

 

注:良知を最大限に発揮させること。良知はもと孟子の唱えたもので、王陽明はこれを陽明学の根本的な指針とした。(小学館デジタル大辞泉参照)

注:「三心二意」とは、中国の四字熟語で、複数のことに気が取られてしまい、一つのことに集中しないこと。この場合の「三心二意」は、もとの意味と違って作者の比喩の言葉。

 

また、「二意」というのは、一番目の「意」が、「毅力」を意味します。(「毅」と「意」は中国語で同じ発音です。根性のあることの意。)稲盛和夫の実家は貧しかったけれども、彼は頑張って起業し、毎日16、7時間も働いて、最終的に、極めて大きな成功を収めました。一言で言えば大変に根性のある人です。二番目の「意」は、彼がとても「意思」のある人(面白い人。中国語の「意思がある」というのは「面白い」の含意がある)で、マナーがとても良く、そしてEQが高い人です。彼はシンプルで素朴で、80歳を超えた今でも自分でカバンを持つのです。

私は、稲盛哲学は「三枚の鏡」でまとめられると考えています。一番目は「望遠鏡」で、二番目は「顕微鏡」で、三番目は「照準鏡」です。

一番目の「望遠鏡」とは、稲盛和夫の問題の見方が先見的だということです。彼は問題を考える時、京セラの哲学で言えば、「結果まで考え抜き、そして多色ペンで標記する」というのです。例えば彼は第二電電を作ろうと思った時、半年間考え続けました。現在実施している通信料金のプランを含めたすべてが、当時彼が考えたものと同じなのです。

二番目は「顕微鏡」です。稲盛和夫はいつも「三現主義」を強調しています。「三現主義」というのが、現実、現場、現物とのことです。この三つは稲盛和夫に具体的に現れていると言えます。稲盛和夫の部下は、彼のことを怖がることがあるといいます。なぜかというと、稲盛さんに仕事の進捗を報告すると、彼はいつも原点原則を捉えて、問題の本質を探り出してしまうからなのです。

三番目は「照準鏡」だ。稲盛和夫が携わっている産業は多様ですが、実はそれらは、特殊セラミックスと関連性があります。例えば第二電電はセラミックスと一見関係がなさそうですが、京セラは通信業界にサービスを提供する企業でもあるため、そこに一定の関連性はあると言えるのです。

 

 

2.ドラッカーから稲盛和夫へ

日本語「二刀流論文」図表3_RITA LABO_190514

企業家の心境について言えば、稲盛和夫自身を一つの指標にすると、三つの境界に分けることができます。一つ目は人間性の境界で、二つ目は道徳の境界で、三つ目は天道の境界です。

中国ではたくさんの企業家が、人間性の境界にとどまっていて、道徳の境界にはまだ到達していません。道徳の境界というのは、良心と良知をビジネスの価値判断規範にするということです。それは中国の企業家が高めなければならないところでもあります。最後の天道というのはすべてを正しいかどうかという基準で判断することです。

中国が改革開放されてから三十年になります。それ以来、私たちはずっとマネジメントという標準理論で仕事を展開しています。その中で、最も参照されたものの一つがドラッカーのマネジメント理論です。ドラッカーが提唱した管理の概念、顧客の概念、組織の概念は私たちに大きな影響を与えました。例えば目標による管理、企業家精神、SMARTの原則などは全部ドラッカーが提唱したものです。しかしドラッカーの思想はまだマネジメントの側面にとどまっています。その意味ではドラッカーは本当の企業経営者ではないのです。彼は企業におけるマネージャーの経験もありますが、その後は学者として学術研究の仕事がメインでした。彼は生態学者の視角から組織全体とその価値を観察したと言いました。一方の稲盛和夫は、自らの手でグローバル・フォーチュン・500の会社を二社設立した起業家です。こうしたことから二人は経歴と経験、方向性にも大きな違いがあります。

つまり、ドラッカーと稲盛和夫とは、経歴上は同じチャンネルの人物とは言えませんが、「ドラッカーは傍観者、稲盛和夫は未来」という観点は常に見られるのです。二人とも巨匠であり、考えが相当に深いのです。その観点によって私は二人を比較することを考えるようになったのです。不十分な点も多いと思いますが、以下においてドラッカーと稲盛和夫二人の考えを簡単にまとめて整理してみました。

 

3.ドラッカーは「西洋医」で、稲盛和夫は「漢方医」

私は二人の考えを整理する中で、ドラッカーの考えを「西洋医学」に例えることができることに気づいたのです。ドラッカーの考えは、例えば目標による管理などは、どの段落をとってもすぐ使えそうです。その一方、稲盛和夫の思想と哲学はそれを効果的に実施するには、精神の修行や修練が必須です。ですから、稲盛和夫の思想は中国の「漢方(東洋医学)」と似ているところがあります。ドラッカーの偉大さは、彼が初めてマネジメントの概念を発表し、それを大きくしてみせたことにあります。

それは、とりわけ中国の改革開放がなされた三十年の間に現代企業の発展に多大な貢献をしました。ドラッカーはテイラーのような先行する学者の直接的な後継者とも言えますが、彼は管理を科学とより一層結び合わせて、今私たちが見る科学的管理法を構築しました。稲盛和夫は主に心や人、そして正しい考え方に着目し、利他という角度から、経営というものを理解し、経営理念を作り上げました。そのように一般的な思弁哲学と異なる、彼自身の独特な稲盛哲学が形成されたのです。稲盛和夫は、初めて経営と哲学と結び合わせ人たなのです。

 

4.ドラッカーは(科学管理の)窓、稲盛和夫は(経営哲学の)扉

ドラッカーの代表作『現代の経営』、『経営者の条件』が世に出た後、これで企業は「鬼に金棒」を得たごとくです。特に全世界がポスト経済危機の時代にある今の時代においてはこうした比喩は説得力を持つでしょう。

このような経済危機の発生が「常態」となると、企業の社会組織としての価値はますます大きく、重要になります。ドラッカーの管理理論は企業家にとって、成長の道を見つけるための良い道具です。それこそがドラッカーの貢献なのです。

一方の稲盛和夫は中国でブームになってからまだ数年しか経ていませんが、ドラッカーを追い上げています。稲盛和夫は八十年代から中国で奨学金を設立し、中国歴代の指導者との間に深い交流を有しています。民間の日中友好を積極的に促進する人物ですが、私たちが彼のことを本当に分かるようになったのは、ここ最近の六年間なのです。

稲盛和夫とドラッカーには23年歳の年齢差があって、二人が置かれた経済環境の特徴もずいぶん異なります。

ドラッカーの思想はキリスト教を背景に持っています。一方、稲盛哲学は儒釈道(儒教、仏教、道教)が背景です。稲盛和夫の会社がこの世に誕生し、スタートアップ期を過ごした当時、日本は戦後の経済が復活しつつある時期でした。当時の世界では電子や通信業界がこれから飛躍的な発展をしようとしていた時期です。この間に、稲盛和夫は五つの大きな経済危機を経験し、その一つひとつを克服してチャンスを捕まえ、大きく発展を遂げたのです。京セラが創業されて以来、純利益は一度も10%以下まで下がったことがないし、さらに個別のプロダクト・ラインの利潤では40%まで達したものもあります。

稲盛和夫は人生の早期に芽生えた哲学の意識によって、彼の人生と経営のあり方を模索し始めました。そして「誰にも負けない努力」「致良知」「人間として何が正しいか」を抽出したのです。特に「人間として何が正しいか」「敬天愛人」などが彼の哲学の核心となりました。

稲盛和夫のもう一つの優れているところは、彼は「全社員の物心両面の幸福を追求する」という観点を出したことです。この観点は、彼が三十歳の時、京セラを創業してから三年後に抽出したものです。

その背景となった出来事として、以下のような一件がありました。当時十数名の社員がストライキをし、稲盛和夫は何回も引き止めたのですが、結局最後には十数人の社員が辞めてしまったのです。稲盛和夫はこの一件を通して、「私がなぜ企業を作ったのか?」「企業を作る意義はどこにあるのか?」「もし社員の物質と心両面の幸せを実現できなければ、企業の存在意義はどこにあるだろう?」と考え始めたのです。

そこで稲盛和夫は社員を前に置き、「致良知」をビジネスにおける価値判断の原理原則としたのです。このことは非常に偉大なことです。また、京セラを含め会社を家族に受け継がせなかったのです。日本の第二電電は、中国の中国電信に相当していますが、この第二電電も株主を重視し、二代目にバトンを渡さなかったのです。

 

5.ドラッカーは管理、稲盛和夫は経営を強調する

ドラッカーと稲盛和夫の違いは、前者は「こと」を、後者は「ひと」を重視しているという点にあります。ドラッカーはどうやって企業を作るか、ということについて、稲盛和夫は上級管理職や企業家としてどう生きるのか、を強調しています。

その2人の考え方の違いは管理と経営の違いと同じようです。稲盛和夫は彼のすべての著作と経営理論の中で、管理という言葉を話したことが少ないです。彼は基本的にしなやかな経営をメインとしています。一方、ドラッカーの多くの理念は、管理をメインとしています。管理には枠があるから、ぎこちないとも言えます。その一方、経営は柔らかくて生気に溢れています。経営は人の心に対する経営で、人の心を向上させ、それを一つにまとめるのです。「焦裕禄」(注1)の社会の中では、単純な管理やPDCA(注2)よりも効率的だと言えます。ここで、なぜ「焦裕禄社会」であるかということを説明しましょう。まず、全員が「焦」っていて、次に人々は「憂うつ」になっています。(憂は裕と同じ発音だ)。そして人々は忙しくて「碌々」なのです。我々の社会は「焦裕禄」の時代に入っただけではなく、「損害モデル」時代にも入ったのです。

人と人の間は互いに不信感があります。そして、それはとても恐ろしいことなのです。従って、稲盛哲学がブームになったのは、管理の考え方と手段から着手するのではなくて、人に重点を置いた柔らかな経営から取り掛かろうという願望があったからです。

ですから私は『ドラッカーから稲盛和夫へ』という本の中で述べたように、「ドラッカーは行ってしまったが、まだ遠くまで行っていない。次に稲盛和夫が来たが、中国の企業家の心底までは来ていない。だから世界の経済環境が変わった背景の下に、私たちはドラッカーの考え方の中にインスピレーションを得て、稲盛和夫の哲学の中に知恵を吸収すべきだ、ということが言いたいのです。漢方医プラス西洋医で行ったからこそ、中国の今の問題が根治されるのだ」という一説をここでまた述べておきたいのです。

1:焦裕禄は、共産党の幹部で、自然環境が悪い河南省兰考县の書記を担当して、地元の民衆を率いて、水害、砂嵐、土壌塩化という「三害」を治めようと、42歳の若さで肝癌で亡くなるまで一生を掛けて戦ったのです。その最期の時、「私が死んだら、兰考の砂丘に埋めて下さい。生きているうちに砂丘を治めなかったから、死んだ後、成功が来る日を見たい。」と言ったとされます。

2:「PDCA」とは、「Plan=計画」「Do=実行」「Check=評価」「Action=改善」の4つの英単語の頭文字で、「PDCAサイクル」とも呼ばれる)

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