董事総経理2018年盛和塾世界大会・経営体験発表で最優秀賞を受賞

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愛の経営で『幸福新陽』を作ろう

―第26回盛和塾世界大会「最優秀発表者」は郭総経理が受賞

編集/胡雲燕

はじめに

稲盛和夫氏は日本の著名な4名の経営者の一人とされている。従業員の物心両面の幸せを実現するために、企業経営をし、盛和塾を立ち上げ、「利他の経営学」が中小企業から厚い支持を得た。毎年横浜で盛和塾世界大会が日本盛和塾によって開催されている。今大会までは、「心を高める、経営を伸ばす」というテーマを中心に、塾生を指導し、向上させた。そのため、世界大会は中小企業の経営者にとって憧れの場所だ。席を確保するのが困難であるため、毎年席を手に入れるために開催日の一年前から準備する塾生も少なくない。

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10月1日、注目を浴びた第26回盛和塾世界大会は、横浜の国際会議場で開催され、日本、中国、韓国、シンガポール、アメリカ、中国、台湾などの国や地域からあわせて97支塾、5,000人近い塾生が参加した。グループ総経理の郭文英さんと日本の経営者5名が経営体験を発表した。

この発表を通して、わが社が稲盛経哲学の学びで成果を得て、日本盛和塾に認められたことが示された。郭総経理の誠実な発表と「新陽人」としての自分の物語が、現場の塾生や審査員の方々を感動させ、「最優秀発表者」受賞へとつながったのだ。以下に発表内容を共有する。

『愛で経営、幸福新陽を作る』スピーチ抜粋:愛・成長・幸福――新陽人とその家族が幸せになるように

1994年、私は創業したばかりの「技研新陽」に入った。当時、会社はたった300人の小さな工場だった。私の仕事は、最初通訳の専門職からスタートし、品質管理も兼ねるようになった。品質管理の仕事がうまく進むように、現場に行き、ライン作業の現場社員と一緒にどうすればよい商品を作ることができるのかを考えた。問題が解決するまで、絶対諦めない、という熱意だ。

ある日、お客さんから線が切れたという品質クレームが来た。私はすぐ現場に行き、従業員と一緒に原因を分析、対策を考えた。いろいろと考えたが、なかなか問題が見つからなかった。寝ても覚めても「原因は何だろう?」と考え続けて、夢を見ることもあった。結局、お客さまの仕様書に問題があって、従業員の作業には問題がないということが明らかになった。私はお客さまのところに行って、調査結果を説明した。幸い、お客さまが調査結果を認めた上に、私の真摯な姿に感動して追加で発注をしてくれた。この小さな出来事をずっと覚えている。塾長がおっしゃった「一生懸命に真面目な態度で仕事をすれば、神様も感動し、助けてくれる。」のようであった。

仕事に対する熱意と、あきらめることなく追求することによって、お客さまや取締会の深い信頼を得た。2000年頭に副工場長に、2005年には工場長、そして2010年に取締役総経理に就任した。

稲盛塾長は、経営とはリーダーが持つ思い、意志によって決まると言う。創業以来、技研新陽は「企業経営を通して頼もしい優秀な人材を育成する」ことを使命に、愛によって経営し続けてきた。私は「新陽家族」の皆さんを兄弟、または子供のように愛し、「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」ということを成し遂げてきた。基本的な愛は、「新陽家族」の物質的な要求を満足させることで、大きな愛、真の愛は、精神的に「新陽家族」の皆さんを成長させることだと思ってやってきた。

2007年、私は初めて「幸福家族文化」のシステムを構築した。幹部を成長させるため、厳しく彼らに接した。2008年、社内日本語レベル評価や、日本研修などのプロジェクトをはじめ、課長以上の管理職は三年以内に、日本語レベル認定合格を義務とした。この義務は厳しすぎるかもしれないが、社員たちは私の愛を理解してくれた。彼らはグループに分かれ、自費で仕事以外の時間を日本語の勉強にあてた。その努力によって、彼らは流暢な日本語で、お客さまと直接交流できる。それまでは、こちら側の管理者層が日本語を理解できないことを原因とするお客さまからのクレームが数多くあった。しかし今では、そのクレームの代わりに、お客さまからの評価と感動が多数寄せられている。

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2010年、わが社は企業大学を成立した。それが「新陽学院」だ。新陽学院は、新人研修から、高い層の管理職マネージャーを対象とする各種の技術研修まで、新陽独自の教育システムが構築されていった。幼い頃「私たちの期待を裏切らないで」と父母からと諭されたて育った。そのため、自分を厳しく律し、週末や祝日を利用して、外へ勉強しに行った。体は疲れたが、意識が高まり、考えと視野が広くなった。それがとても嬉しかった。幸い、新陽の幹部たちも私と一緒に勉強することが好きで、成長もできた。彼らの成長は私にとっての一番嬉しいことである。

福利厚生については、1999年、第一回「新陽の恋」と題した集団結婚式を始め、家族と一緒に暮らせるマンションも建設した。2007年から、父の日、母の日、重陽の節句に、父母を感謝するイベントを毎年開催した。従業員たちが心配のないように、新陽幼稚園を設立した。今現在、300名近い従業員の子供を預かっている。新陽幼稚園を卒業した子供たちは、学校で他の子より明るく、成績がいいと、多くの教師や親が教えてくれる。子供たちの感謝の声を聞き、感謝の手紙を貰った時、感動や幸せでいっぱいになった。

愛は「因」、幸福は「果」――稲盛経営学を実践した変化

私は、稲盛経営哲学を学び実践することが大好きである。稲盛経営哲学を深く信じ、「敬天愛人」も血となり、体の一部となった。この「敬天愛人」という考え方によって多くの幸運に恵まれたので、新陽の皆さんもそうなるよう、頑張っている。

そして、稲盛塾長の「敬天愛人」の経営学の考えと強いつながりを持つ新陽の「幸福家文化」を、「人間本位の精益文化」にレベルアップした。それではじめて、「敬天愛人、至善に止まる」という企業フィロソフィを作り、2008年にスタートした新陽独自のTCCを通して実施している。2015年、アメーバ経営を各班でスタートした。感動したのは、計算ができなかった生産組長の夏世菊姉さんは、アメーバが導入されてからまもなく、自ら各ポジションと生産ラインの利益を把握できるようになった。アメーバ経営が実施される中、新陽人は「共識、共創、共有、共栄」の意識を持つようになった。アメーバを新陽で実践することによって、新陽家族は誰でも主体的な経営者となり、物心両面の幸福を得ることがより早く実現されると信じている。

愛は因、幸福は果。私は因果関係を深く信じている。稲盛経営学への理解と実践が進むにつれて、会社の経営状況も大きく変わった。2015年10月、経営権が日本から私たちに移り、同年、他の外資系企業が撤退していった時期に、わが社は21万平方メートルの新工場を購入した。感動で涙がこぼれた。やっと新陽は自分の家を持つようになり、百年新陽の基盤が出来た。それにより、新陽を明るい未来に進んでいこうとする決意を一層固まった。

稲盛塾長がおっしゃったように、「心に描いたとおりになる」。新陽人みんなの努力によって、技研新陽という会社はPCBAとLCDの組み立て業務や、知能化と情報化の商品開発と製造業務をメインとする会社に成長してきた。子会社11社、従業員1万人超えの日本投資のグループ会社となった。連続三年で東莞市輸出額のTOP10に入り、前年度は第三位という好成績を収めた。

 

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百年新陽の夢は、新陽家族みんなの夢だ。2018年、私たちは江西省信豊県で400エーカーの土地を買い、電子情報科学技術園を立てた。資質能力、専門性が高く、高い即戦力をもつ実用型の技術人材の育成のため、重慶行知教育グループの呉安鳴校長と連携し、職業技術学校を創立した。東莞新技電子二期の工場も正式に稼働、新しく成立した車裁事業部も起動中だ。

感謝して、よりよい自分になる

人生の価値に感動するのだ。人生の楽しみは他人に感動することだ。20年以来、沢山の人に感動し、それらの感動があったからこそ、私のモチベーションが高くなり、強い信念をもって、前に進むことができる。

どれぐらいの責任感を持つかが、立つ舞台の大きさを決めるのだ。これほど新陽家族が信頼と評価を得られるのは、私は純粋な誠実さ、「動機善なりや、私心なかりしか」という真摯な人格にあることだと考える。「幸福新陽」を自分の一生の天命にして、「愛で経営」の理念を成し遂げて、百年企業を実現する。私が憧れる将来のビジョンは、新陽は尊敬される、尊敬される企業となることだ。一生をかけて、新陽ファミリーをとともに、物心両面の幸せを実現させる。全身全力で稲盛経営哲学を学び、幸福新陽を作り、人類と社会の進歩に貢献する!

「稲」を学び、「稲」を行い、「稲」を悟り、「稲」の真髄を得る。郭総経理は発表者6人の中で唯一の女子中国人塾生で、世界大会が行われて以来「最優秀発表者」を受賞した初の女性、中国人、しかも日本語で発表した初の中国人経営者だ。最後に、彼女は受賞の感想をこう述べた:「最優秀発表者」は個人の栄光ではなく、新陽ファミリーみんなの努力とソウルメイトが助けてくれた結果だ。曹岫雲さんと池田さんのご指導に感謝する。この栄光には使命と期待が含まれていることを知っている。今後も全力で「幸福新陽」のため一生をかけて頑張るつもりだ。

 

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愛と幸せを探る旅立ちへ――世界大会参加者としての感想

SGG/岳銀燕

第26回盛和塾世界大会は、ほとんどの塾生にとっては「聖地を巡礼する旅」だ。9月の始めに、北海道ではマグニチュード6.9級の地震が起こり、大会開催日のちょうど前日、今まででもっとも強力な台風24号「チャーミー」に遭遇した。すべての交通手段が運休し、建物も揺れていた。スケジュール通りに進むか疑問だった⋯幸いなのは、塾生ではない私が現場に行くことができ、愛と感動をたくさん受け取ったことだ。

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すべてはもっともよいタイミングで起こる

台風により、今回の旅は困難なことが続いた。そもそも9月30日朝、広州発の飛行機は欠航となった。本音を言えば、焦り、そして気が抜けた。その時郭さんはグループチャットに「幸福三宝」(執着から離れ、今を生きる。すべてはもっともよい時に起こる)を共有した。落ち着いたら、いいことがあった。広州からの便が欠航なので、香港からの便に換えた。以前香港で乗り換えたことがあったが、慌てた。今度は午前1時発の便なので、12時間香港に留まることができたので、しっかりと香港の魅力を感じるいいチャンスとなった。今を生きることはいいことじゃない?いいことが起こると信じれば、本当にいいことが起こる。10月1日、飛行機が東京の上空を飛んでいた時、人生の中で最も美しい日の出を見た。その日の疲れが全部消えた。

面白いことに、飛行機が欠航となった日、『生き方』というウィチャットアカウントでは、「苦しんでいる時は、カルマがとける時だ。」というタイトルの文章がアップされていた。内容は、稲盛さんは人工骨の事件で世論から厳しく非難されたとき、老師から「それはカルマがとける時なんですよ。 だから喜ばなければいけません。赤飯炊いて喜ばなければならないことのです」と言われたそうだ。困難が神様から与えられた試練とすれば、文句を言わず、怒らず、悩まず、そうすれば、好循環にのり、善の種が撒かれ、そのよい果実を収穫できるようになるのだ。

愛と幸せを収穫する

ご飯を食べたか、スマホのバッテリーの残量が大丈夫かなど、旅の途中で、多くの人からメッセージが寄せられていた。最新の台風進路予報を送ってくれた友人もいた。その日の晩、ずっと空港で出発を待っていて眠れなかったが、空港の外で心配しているファミリーも寝られなかっただろう。その日の空港は寒かったが、心が温かかった。そういった困難を経験しなければ、この世が温かいこと、こんなにも多くの人に愛され、関心が寄せられていることが分からなかっただろう。

郭さんが受賞した日の夜、興奮が抑えられずに、半年も更新していなかったウィチャットのタイムラインを朝4時に更新した。最も早く「いいね」と押して、コメントしてくれたのは私の父母だ。父と母の中のどちらか、私のタイムラインが更新されたことを発見し、まだ寝ているもう一人を起こし、スマホのスクリーンに近寄って、集合写真の中の私の姿を探している場面が想像できる。愛されているということは本当に幸せなことだ。神様が試練を与える目的は、自分がどんなにも幸せなのかを気づかせることだ。そう思った時に、私の中に強い力が生うまれた。私を愛している人を心配させないように、頑張らないといけないのだ。ベストな自分になり、愛する人と愛してくれる人に恩返しをするのだ。

 

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愛の思い出

郭さんの発表で、医師であるご主人の劉先生が、自分の家族のように社員に接して、いつも会社に来て、健康講座を開き、病気に対する不安や疑問に答え、薬の選び方などをアドバイスするというような、丁寧な対応をしていることに言及した。それを聞きながら、涙がこぼれて、十数年前の思い出が呼び起こされた。

ある日の健康診断で体には問題があることが分かった。その頃、子供を産んだばかりで緊張して、不安になっていた。仕事を辞めようと思い、田舎に戻る心の準備もできていた。その時、私はただの担当で、郭総経理が私に声をかけてくれることは思わなかった。彼女はやめる理由を丁寧に聞いてくれ、すぐ劉先生に連絡した。その週末に劉さんが務めていた東莞病院で、改めて健康診断を受けるよう手配してくれた。

その後、劉先生は胃腸の専門医だということを知った。彼は診療室の前に患者さんが列をなすほどの名医だ。しかし、劉先生は貴重な時間を使って私の症状を診断して、検査の手配をしてくれた。病院は遠いからと、検査の結果まで取りに行ってくれた。結局大した病気じゃないことが分かり、郭さんが意志の強い声で、「大丈夫、健診の結果は悪くないから仕事を辞めて治療する程度に至っていない」と私を励ましてくれた。当日不安だった私も安心した。このことを電話で父に話すと父も感動して、「いい会社に入ったな!いい上司と出会ったな!他の会社だったらそういう状況になったら、あなたを辞めさせるだろう、リスクを避けるために。まして外資系企業なのに!と震えた声で言った。その時、私の人生は始まった。もし劉先生と郭さんに出会わなければ、私はこれほど成長することが出来なかった。

そんなに若いのに、なぜこの会社で18年も働いたのかとよく聞かれる。ずっとここで働きたい理由は、どんな困難にあっても、会社は私たちの立場に寄り添い、家にいるような安心感を得られることだ!新陽では、私と似たようなことを経験した人が多い。彼らが抱えた問題は、自分や家族の健康問題、そして子供教育の問題などがある。しかし、どんな問題でも郭さんが小さい体で私たちを風雨から守ってくれ、悩みを解決してくれた。だから私たちは新陽ファミリーの愛の光を浴びて成長できるのだ。

郭さんは受賞後、私たちに「愛を受け継ぎ、愛そのものとなり、愛の種を撒く」という言葉を送ってくれた。そうだ、愛と恩恵をたくさん受けた私たちは、新しく新陽に入った人々が幸せになるように愛を広げて、種を撒いて、花にさせるのだ。稲盛さんが最後のスピーチでまとめたように、今現在持っている才能は自分のものではなく、神様が私たちの身に預けたものだ。この才能を使って、社会と世の中の人々のために使わなければならないのだ。今日の自分があるのは、会社と皆さんが機会とプラットフォームを与えてくれた結果なのだ。今から、自分の傲慢さを手放し、会社に恩返しをし、お客様の望みをかなえ、「幸福新陽」が実現するように努力して自分の力を出すのだ。

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